元記事
https://www.themusical.co.kr/Magazine/Detail?num=4306
チョンドンソク
永遠の愛に向かって
チョンドンソクは愛に裏切られた後も最後まで愛を抱く純愛ヘドウィックを誕生させた。 だからといって、彼の「ヘドウィック」が、はにかんだり従順的という意味ではない。 劇場のドアが開き、彼女が登場する時には観客が熱い歓呼を送ると、「私、ヘドウィックよ」という表情で満足げに微笑む余裕を見せ、あちこちに設置されたカメラに意地悪ないたずらをする。 また、 '熊、おいしい'今この瞬間?'など、自分の代表作の中の台詞や歌詞を適材適所に溶け込ませる厚かましさも披露する。 彼が流暢なドイツ語で吐く卑俗語は、意外に高級な雰囲気を作り出し、まだ大学卒業証書がないという事実を知っているファンなら、「私は大学を出た人たちが嫌いだ」というアドリブさえ笑いのポイントになる。 しかも作品で寛大に許されるきわどい「セックドリップ」までずうずうしく話す。
チョンドンソクのヘドウィックは 'Wig In A Box'を基準に相反した雰囲気を作る。 最初は自分の幼年時代と母親との思い出を思い出し、後半には今のヘドウィックを作り出したトミーとの愛を語る。 トミーとの話を中心に進められる後の部分で、彼の感情が浮き出るという点で、公演の序盤は相対的に遅く進行され、退屈に感じられる。 (記者が公演を見た日は、チョンドンソクも下がる客席の雰囲気に気づいたのか、「お前ら今、面白くないでしょう」といういたずらな質問で雰囲気を喚起しようとした。) しかし、母親とのエピソードは、彼の人生を理解する大きな手がかりだ。 チョンドンソクのヘドウィックにとって「母」という存在は、自分が一生愛を渇望した人物だ。 少年ハンセルが母親に受けた傷は、結局ヘドウィックにトラウマとして残るからだ。 そして、この物語をもとに、トミーに向けたヘドウィックの切ない愛が納得できる。
本格的にヘドウィックとトミーの物語が始まれば、公演の流れが急激に速くなる。 チョンドンソクのヘドウィックにとってトミーは、「彼の初恋であり最後の恋だ。 そのため、彼は自尊心も捨ててトミーの愛を切迫して渇望する。 トミーに裏切られた時さえ、自分を捨てたトミーを憎む心より執着に近い愛の方がより大きく見え、甚だしくはトミーの理解できない行動を理解しようと努める。 このような切なる愛は、ヘドウィックがエスプレッソバーに座ってウェストライフの「My Love」を歌う時から予告される。 旅立った恋人に向かって海を渡って世界中をさまよっても、「あなたに会える場所に行かせてほしい」という歌詞は、まるでヘドウィックの愛を含ませておいたようだ。 特にチョンドンソクはトミーの話をする時は、豊かな声量を利用して荒々しく絶叫するが、まるでトミーへの愛をあきらめることができない最後の叫び声のように聞こえる。 しかも、トミーが会場で不特定多数の観客に向かって叫ぶ「愛してる」という言葉さえ聞き流さない。 そしてついに自分に向けなかったトミーの「愛してる」という言葉を振り返り、これからも彼への愛を諦めることができないという事実をはっきりと悟る。 結局、最後のシーンで強烈に降り注ぐ光に逆らうヘドウィックは、倒れそうにふらついてあきらめる。 公演が幕を閉じた今も、チョンドンソクのヘドウィックは心の片隅にトミーを抱いて生きているのではないだろうか。